お茶の科学(サイエンス)

製茶工程と化学成分(下)


農林水産省野菜・茶業試験場

山口優一


 前号では煎茶の製造中の化学成分の変化に関する研究結果を紹介しました。巧妙な製茶方法により、ビタミンC、カテキン類、アミノ酸などは変化しにくく、 生葉に含まれている量がかなり維持されることがご理解いただけたかと思います。今回は、お茶の香りの元となっている香気成分についての研究状況を紹介させ ていただきます。
 煎茶の審査で、滋味、水色とともに香りも非常に重要な評価項目であることはご存知の通りです。また、私達が様々な食品を食べて美味しいとか美味しくない と感じる場合、それは単に舌で感じる味だけで判断しているのではなく、食べる時に口から鼻に抜ける香りも含めて判断しているのです。
 さて、お茶の香気成分については昔から多くの研究がなされており、非常に多くの成分が発見されています。煎茶に限っても二〇〇近い物質が確認されている かと思われます。しかしながら、どの成分が煎茶の香りにとって重要であるか、香りの良い悪いに関与している成分はどれか等についてはほとんど不明なので す。
 また、各香気成分の含有量はカテキン類やアミノ酸などの他の茶成分と比べて非常に少なく、普通に飲む煎茶の浸出液で数ppb程度です。ppbという単位 はわかりにくいかもしれませんが、1t(一〇〇〇r)のお茶の浸出液の中に爪の先程度のお茶の量とお考え頂ければ良いかと思います。ところが私達の鼻は非 常に敏感で、この程度の濃度の香気成分でも匂いとして感知することができます。ただし、分析機器の感度は到底私達の鼻には及びません。したがって、茶に含 まれる香気成分の量の正確な分析は非常に困難で、まだまだ解明すべき問題が多く残された分野です。最近では機器の性能も向上し、ようやくある程度正確な香 気成分の分析が可能となってきました。
 前置きが長くなりましたが、茶葉の香気成分は、前回紹介したカテキン類、アミノ酸などの成分とは異なり製茶工程中に含有量が大きく変化します。私どもが 最新の機器を用いて二三種類の香気成分について検討した結果、特に蒸熱中に多くの香気成分が減少することがわかりました。特に「青臭み」に関与すると思わ れる香気成分の減少が顕著であるという結果が得られました。
 その代表的な成分がシス・3・ヘキセノールと呼ばれる成分で、四〇秒程度の蒸熱により生葉中の含有量の一〇〇分の一程度に減少します。シス・3・ヘキセ ノールは別名「青葉アルコール」とも呼ばれ、植物一般の青臭さの原因の一つと考えられている成分ですが、以上の実験事実はお茶時期に製茶工場の近くを通る と何とも言えぬ青臭い香りを感ずるということとも一致します。つまり蒸熱中にこれらの香気成分が茶葉から揮発するために、周囲にその香りが漂うものと思わ れます。また、蒸しという操作はこのような青臭成分を効率良く除くことにより、生葉の強い香りを和らげて茶の香りをマイルドにしているとも言えるでしょ う。
 蒸熱以後の工程でも多くの香気成分の減少が見られます。ただし、蒸熱時ほどの激しい変化ではなく、少しずつ減少する傾向がありました。また、逆に工程が進むに従い増加してくるような成分もいくつか見られ、全ての香気成分が同じような変化をしているわけではないようです。
 全体をまとめますと、分子のサイズが小さくて揮発しやすく、香りに刺激的な傾向のある香気成分が減少し、どちらかというと重く、落ち着いた香気を持ち分 子サイズが比較的大きな香気成分が多く残る傾向があります。これはあくまで想像ですが、以上のような香気成分組成の変動が、生葉から荒茶への製茶工程によ り香りがまろやかになることと関係があるものと考えられます。

(やまぐち ゆういち)             月刊「茶」1999年2月号より