お茶の歴史

平安時代

わが国のお茶は、平安朝の初期(約1200年前)、伝教大師(最澄)や弘法大師(空海)など、唐へ留学した僧侶たちによって中国から茶を持ち帰ったのが始まりとされています。

鎌倉時代

わが国のお茶は、平安朝の初期(約1200年前)、伝教大師(最澄)や弘法大師(空海)など、唐へ留学した僧侶たちによって中国から茶を持ち帰ったのが始まりとされています。

その後、鎌倉時代に栄西禅師(1141~1215年)が中国から茶を伝えると共に「喫茶養生記」をあらわし、「茶は養生の仙薬なり、延齢の妙術なり」と喫茶の効能を宣伝したため、茶への関心が高まりました。
本県の茶は、駿河国栃沢(静岡県郊外)に生まれた聖一国師(1201~1280年)が、やはり中国から種子をもたらし、出生地に近い足久保にまいたのが始まりとされます。
後に「するがぢやはなたち花もちゃのにほひ」と芭蕉によまれ、明治維新には、 徳川藩士や川越人足等による大規模な牧之原開拓など、立地条件とあいまって、 日本一の大茶産地となる基盤が作られ、現在では生産額・品質はもとより、流通面 においてもわが国茶業の拠点となっています。


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お茶壷道中(浅間神社・静岡市にて)

 

栄西禅師(えいさいぜんじ)1141~1215

わが国の茶、中興の祖。臨済宗を宗(中国)から伝えました。抹茶系の製茶法、抹茶式のお茶のたて方をはじめてわが国へもたらしました。さらにわが国最初の茶専門書「喫茶養生記」を著しました。

聖一国師(しょういちこくし)1202~1280

聖一国師は鎌倉時代の高僧で東福寺(京都)を開山し、宋(中国)から帰朝のとき、茶の実と仏書千余巻を持ち帰りました。 茶の実は郷里に近い駿河足窪(現 静岡市足久保) の地に植えたと伝えられ、静岡茶の祖と言われています。

 

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聖一国師像(臨済寺・静岡市) 静岡茶発祥の地 足久保の「狐石」(静岡市)

江戸時代

江戸時代になると、中国から今と同じようなお茶の葉にお湯を入れて飲む方法(煎茶)が伝わりました。
また、このころから静岡では足久保のお茶を江戸城へ献上したり、徳川家康によってお茶会用の品質のいいお茶が、井川のお茶壺屋敷に保存されたりと、静岡茶は銘茶として知られていたようです。

明治時代

明治時代には、今と同じようなお茶の作り方が完成しました。輸出が増え、生産量が増えてきたことから、お茶を機械で加工する技術もさかんに発明されていきます。
明治初期の静岡では、 徳川藩士や川越人足などにより牧之原の大茶園が作られ、茶産業が大きく発展しました。明治末期には、杉山彦三郎がお茶の新種「やぶきた」をみつけました。
静岡県安倍郡有度村(現静岡市駿河区中吉田)に生まれ、我が国茶品種改良の先駆者です。「やぶきた」のおこりは、竹やぶを開墾した試験園の北側の位置に原樹があったために名付けられました。

現在

静岡県は、生産額・品質はもとより、流通面においてもわが国茶業の拠点となっています。